産土(うぶすな)とは生まれた土地、またその土地を守る神のような存在のこと。南信州の神楽歌で「おぶすな」と発音されることもある。この言葉をもとに
企画設立の想い
“人の命を繋ぐものは何か”
この問いへの答えとして、まず水や食べ物、そして生活を成り立たせるためのお金、芸術や芸能は二の次三の次。多くの方はそう思うのではないでしょうか。実際にそれが当てはまる状況は多いですし、アーティストである私自身もそう思っていました。これまでの常識、生活様式が覆され、本当に多くの方が生活の危機にさらされる中、芸術や芸能が“不要不急”と扱われていても“悔しいけどしょうがない”そう諦めている自分がいました。
しかし、ある先輩ミュージシャンの言葉にハッと気付かされました。
“仮に、本当に水も食べ物も届かないような絶望的な状況に陥ったとして、それでもなお人の命を
繋ぐ力を持ちうるもの、それが芸術、芸能だ”
住民を巻き込んだ壮絶な地上戦、そしてそのあとに待っていた差別や治外法権の理不尽さ、それら悲惨な経験を、歌い踊り、明るく笑い合うことで乗り越えてきた沖縄の先人をルーツに持つ私は、そのことを誇りに思い、芸術や芸能の力を強く信じていたハズでしたが、いつの間にかそれらをないがしろにする風潮に自分自身が流されかけていたのです。
“しょうがないから今は我慢しなさい”そう言わざるを得ない状況は確かにありまたし、子供たちにそう言い聞かせることで自分を納得させてもいましたが、あらゆるチャンスを奪われ肩を落とす子供達を、これ以上黙って見ていることは出来ませんでした。このまま我慢を強いるだけでいいのか。自分にとって楽な選択をしているだけではないのか。
先行きが見えず新しいことを始めることが困難な状況だからこそ、率先して動くことで若い人たちの希望になれるのではないか。ベストの選択が分からないからと立ち止まるのではなく、少しでも良い方法・状態を模索して挑戦し続けること、それが大人としての自分の役目なのではないのか。
若者、特に子供にとっての一年は大人にとってのそれよりも遥かに重いと言われます。様子を伺う余りに、読めもしない未来を読もうとしていてはいつまでも動くことは出来ない。とにかく“今”動くことが必要なのだ。そう思います。
もちろん、理想だけでは組織を運営していくことは出来ません。自分のことをアピールすることが苦手だったり、経済的、事務的活動が苦手なことが多いアーティストが、気軽に悩みを相談しあいながら情報を共有し、色々な方のお力をお借りしながら協力し合える、現実的で持続可能な活動を目指します。 一般の人々にとって、時に作者自身にさえ完成形が見えない想いを具現化するのがアートだとすれば、この取り組みそのものがアートと呼べるものかも知れません。皆様に寄り添うことで少しでも元気、笑顔、勇気、希望をお届け出来る存在、“心の産土”でありたい。
嬉しいことに、まだ形も何もなかったこの想いに賛同し、本当に素晴らしいメンバーがプロジェクトの立ち上げのために集結して下さいました。1人1人が少しずつ出来ることを持ち寄れば、必ず大きな力となるはずです。難しい言葉を書き連ねてしまいましたが、とにかく集まって下さる皆さんが気軽にアートに関わり、楽しみながら長く続けていける取り組みを目指しています。
この“愉快な悪だくみ”を一緒に大きく大きく育ててみませんか?
皆様のご参加をお待ちしております!
プロジェクト代表 久高 徹也